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気持ちの整理

アイドルがアイドルを辞めた瞬間を見た。

まず、前置きとして私はすばるくんのファンでも関ジャニ∞のファンでもない。

大倉忠義のファンである。


タイトルの通り。

あの日、すばるくんがマイクを片手に話す姿は、関ジャニ∞の渋谷すばるには到底見えなかった。

それと同時に、私が今まで見てきたものは、全て、[アイドル関ジャニ∞渋谷すばる]だったのかもしれないと、衝動的に感じたのだ。


なぜかと言われてもわからないけど、ただひたすらにそう感じた。

多分だから、なにも思えなかったのだ。


ただゆらゆらと、もう居なくなった残像のアイドル関ジャニ∞渋谷すばるの姿を、渋谷すばる越しに見たいとどこかで思いながら会見の映像を眺めた。


その姿は、渋谷すばるが、アイドル関ジャニ∞渋谷すばるを辞めてしまったからにはもう一生会えない人に変わったのである。


もう居なくなってしまったという空虚感に苛まれて、ただ今日までもやもやと過ごしていた。

そしてじわじわと、今はもうなきアイドル関ジャニ∞渋谷すばるへのもやもやは、渋谷すばるという、私の知り得ない人物へのもやもやに変化した。


アイドルっぽくないアイドルを売りにしていたって、アイドルはアイドルだし、バンドをしても、踊っても、舞台をしても、なにしてたってジャニーズはアイドルというカテゴリーの中で生きていると私は思う。


アイドル関ジャニ∞渋谷すばるは死んだのだと思う。


アイドルが嫌だったのでも、アイドルを辞めたかったのでも無いとしても、もう私の知ってる彼は死んだのだ。


あの日あの会見会場に立って話していたのは、私の知らない人だった。


知ってるようで知らない人だった。


すばるくんの捨てたかったものは、結局アイドルという肩書きで、夢を追いかけたいと、自分を優先したと彼はそう言ったけれど、今のファンも今のメンバーも全部いらないという事だ。

挑戦するのに人の手を借りないという事が、どれだけ大変か、私にも想像つかない。

彼は、関ジャニ∞では夢は見れないと言った。

関ジャニ∞では叶えられない夢はなんなんだろうか。

関ジャニ∞ではできない音楽とはなんだろうか。

関ジャニ∞では持てない世界とはなんだろうか。


彼がどこまでを甘えと呼び、どこからを1人と思うのか。

じゃあ私の知ってる、アイドル関ジャニ∞渋谷すばるは、甘えた人間だったのだろうか。


どこに、どんな風にどのくらいの期間、なにを学び、誰と、どうやって過ごしたら、関ジャニ∞ではできない、何かを学び帰ってこれるのだろう。



結局なにが言いたいかって、こんだけ書いたけど結局私も、アイドル関ジャニ∞渋谷すばるも、私の知らなかった渋谷すばるも、嫌いにはならないのだ。


でも応援はしない。

私は渋谷すばるのことは、元々応援してもないし知らない。どんな歌を歌い、なにを学び、なにを表現して、どんなことを話すのか。

何も知らないのだ。


だって私が知ってる、アイドル関ジャニ∞渋谷すばるは死んだのだ。


どんなに戻ってきて欲しくても彼はもう帰ってこない。。


だからメンバーが、幼なじみとして、友達として応援したい。

でも辞めないでほしいとお願いしたという気持ちがなんとなく、わかる。

正確にいうとわかるというよりは、自分も感じたのが正しいのかもしれない。


だから私の中では、

知っているアイドル関ジャニ∞渋谷すばるが、アイドルという仕事を辞めた。

という事実と、

知らない渋谷すばるという人物が、私が大好きなアイドル関ジャニ∞大倉忠義の大切な人で、その人が後者を振り回して旅立つらしい。

という2つの事実が同時に起きた。

という感覚なのだ。



誰が悪いとも思っていない。

誰かのために辞めないという選択をする人もいるし、自分のために辞めるという選択をする人もいる。


それが人間だし、私はイケメンお人形の応援をしているわけではないからいつなんどきだってこういうことは、起こりうるのだ。


そう、あの日、

私はアイドルがアイドルを辞めた瞬間を目撃したのだ。

渋谷すばるに生かされていた、アイドル関ジャニ∞渋谷すばるが、消えてしまった。

なくなってしまったものだから、向けられない思いだけが、まだ空気の中で浮いてて、いつか中和されてわからなくなるまでは、たぶん色の違いがくっきり見えたままの空気なんだと思う。


その日が来るまでは。


ありがとう。さようならすばるくん。